東京高等裁判所 昭和47年(ネ)1355号 判決 1974年1月16日
理由
控訴人が別紙目録の如き記載ある約束手形二通の所持人であることは、争がない。
そこで被控訴人の振出責任の有無につき判断するに、被控訴人自身が本件各手形を振出したとの点は、本件全立証によるもこれを認めることができない。
よつて本件振出が上記柿沼邦政の代行権に基くものか否かをみるに、《証拠》によると、被控訴人は米穀商を営む者であるが、その四男の柿沼邦政が父と同居してこれを手伝つていたこと、しかるに同人も右の仕事を避け、昭和四二年頃土産物類の卸を行う訴外会社を設立したこと、被控訴人は右の事業には直接関係しなかつたが、親子のことでもあり、やがて邦政から乞われるままに多少援助を行なうようになり、右訴外会社が負う銀行取引上の債務につきこれが保証人となつたり、又同会社が取引銀行に差入れる手形につき保証の意味で共同振出人となつたりしていたこと、更に被控訴人は右邦政に対し、訴外会社が銀行に差入れる手形の関係或いは銀行よりの借入等、同会社の事業関係のうち銀行取引に関するものに限り、右邦政に、被控訴人の名義をもつて手形振出、保証等を為し得る権限を与え、そのためときに自己の実印、印鑑証明等を同人に貸し与えるようになつたこと、しかるに右邦政は事業に失敗し、昭和四六年一一月二日頃以後その所在も判然としないこと等の事実が認められ、前記被控訴本人の供述中右認定と牴触する部分は措信できず、他にこれを左右するに足る証拠は存しない。
右認定によれば、被控訴人が邦政に対し右判示の範囲における代行権(署名代理権)を授与していたとの事実はこれを認めることができるが、これを超えて、本件の如き銀行取引外の手形(本件各手形が銀行取引外の手形であることは《証拠》に徴して明らかである)についてまで代行権を付与していたとの事実はこれを認めることができず、さすれば本件各手形は、各被控訴人振出名義部分につき、右邦政がその権限を超えてほしいままにこれを振出したものといわざるを得ない。
控訴人は、右につき、表見代理に由来する救済を主張するところ、上記邦政に基本的な代行権が存することは叙上のとおりであるけれども、しかし、その権限を超えた本件振出行為につき、本件各手形の受取人である前記並川美術工芸社において、右をも邦政の権限内の行為と信じ且つその信頼に正当の理由があつたことは、遂にこれを認めることができないのである。
即ち、いわゆる越権代理による手形行為に関し、当該手形がその受取人から第三者に譲渡されたような場合、右手形行為を権限内の行為と信ずべき正当の理由が存したか否は、表見代理制度の趣旨及び手形裏書の性質等からみて、手形の現所持人ではなく、右手形行為の直接の相手方についてこれを論ずべきものと解するのが相当であるところ、《証拠》を総合すると、本件各手形はいずれも上記邦政から並川美術工芸社に商取引上の債務の支払のため交付され、同工芸社から控訴人に譲渡されたこと(但し別紙目録(二)の手形は受取人欄白地で振出され、右工芸社より譲受けた控訴人ないしその他の者がこれに控訴人の氏名を補充したものと推認せられる)が認められるから、右正当理由の点は専ら並川美術工芸社について判定すべきものである。
ところが、右並川美術工芸社(代表者並川欣也)の右の点に関する信頼及びその正当理由の存在については、「右並川欣也が本件各手形は心配のない手形である旨を述べていた」とする控訴本人の伝聞的な尋問結果の外は、これを肯認するに足る確証は何ら存せず、かえつて《証拠》によると、本件各手形の被控訴人名義部分につき、その記名は、被控訴人自身によるものでないのはもとより、上記邦政の書体か否かも疑わしい点があり、又名下の印影も、有合せ印によるものと認められる外、右各手形上の柿沼邦政名下の印影とも甚だ酷似しており、更に右並川欣也は本件の発生以後所在不明である等むしろ右並川欣也の悪意、少くとも過失を窺わせる事実すら存する状況であつて、いずれにせよ本件各手形の受取人である並川美術工芸社の、上記邦政の代行権に関する信頼及び正当理由の存在については、これを認めるに足る証拠は何ら存しないというの外ないから、控訴人の表見代理の主張も亦失当として排斥を免れない(なお右表見代理の主張は民法第一一〇条に基くものであるところ、民法第一〇九条の場合などと対比し、権利の外観の有する客観的信頼性及び本人の帰責性等に相違があり、又実定法上も第一一〇条の場合は特に「正当ノ理由」の必要なることが明記せられていることからみて、右第一一〇条による表見代理―その類推適用の場合を含む―については、右正当理由の存否は、その存在を主張する者においてこれを立証する責任があるものと解するのが相当である)。
以上の次第であるから、控訴人の請求は失当といわざるを得ず、これを棄却した原判決は結局正当であり、本件控訴は理由がないので棄却する。